↑ 1991年横田基地で松野氏が撮影されたスイモアジョンソン基地の68th ARWのKC-10A 86-0034。尾翼に飛行機として初めて空を飛んだライト兄弟のライトフライヤーが黒で描かれている。左側機首にノーズアート入り。翌1992年に機体は、SAC(戦略空軍)68th ARWからACC(航空戦闘団)の第4航空団(4th WG)に移管される。
↑ 撮影日も撮影場所も不明だが、恐らく1985年以降ドイツで撮影されたKC-10A/79-1946。この機体と同じマーキングのKC-10A/79-1950が1986年横田基地で展示されている。SACベルトの向って左側のインシグニアは、432nd ARWのものである。
↑ 1993年10月カルフォルニア州マーチ空軍基地で撮影されたKC-10A(79-1950)。尾翼にはマーチの文字とラインが入っている。マーチにいたKC-10Aの多くはトラビスAFBに移動しているが、マーチの22nd ARWは1994年までKC-10Aを使用していた。
↑ 1986年12月に撮影された22nd BWのKC-10A/84-0190。尾翼には黒百合のマーク、撮影場所は不明。1984年度会計年度以降に予算化され生産されたKC-10Aは恐らく最初からこのダークグレーのマーキング仕様でロールアウトしている。
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KC-10Aは、その後も順調に生産が進められ、発注数も最終的には60機となった。当初は、バークスディールのSAC部隊に優先的に配備され、マーチ、スイモアジョンソンと配備が進んだ。KC-10Aの優れた点は、先ず積載される空中給油用の燃料が、前述したように多量であること。翼を挟んで前後2か所に連結三連タンクを持っている。次に給油するオペレーターが、座ったまま作業ができる点で、KC-135の様に寝そべった状態から解放された点、それとローリング方式のブームシステムで、従来KC-135ではブームは縦方向と長さ調整しかできなかったが、KC-10Aではそれに加え、横方向の動きも加わったのでオペレーターは、操作が楽になると共に、受給される側も機体位置を微妙に調整する手間が少し軽減されるわけだ。特にC-5AやC-141B等の大型機が空中給油を受ける際、左右の機体位置調整1~2mでも大変なはずだからである。特に戦時体制における空中給油は、正に時間との勝負であり、こうした運用の効率化は非常に重要と言える。
↑ 1991年横田基地で松野氏が撮影された68th ARW/344th ARSのKC-10A 56-0034。この飛行隊はスイモア・ジョンソン基地を拠点に活動する戦略傘下の第66空中給油航空団の下に居たが、1992年4月から空軍組織の大改革でACCに組み入れられ、第4航空団(4th WG)の空中給油部門として位置付けられることになる。この結果、後日尾翼に"SJ"のテールレターが入ったKC-10Aが現れた。
↑ 1990年5月当時のドイツ ラムシュタイン空軍基地で撮影されたKC-10A(83-0077)。尾翼には当時の所属部隊スイモアジョンソンの68th ARW/344th ARSの所属を示すライト兄弟のフライアー号のシルエット。
↑ 1993年4月カルフォルニア州マーチ空軍基地で撮影されたKC-10A(83-0079)。SACからAMCへの移管が始まった頃で尾翼には暫定的に?AMCの文字とラインが入っている。マーチにいたKC-10Aの多くはトラビスAFBに移動している。
↑ 1988年10月に横田基地で松野氏が撮影されたKC-10A(84-0187)尾翼のマークからカルフォルニア州マーチ空軍基地の第9空中給油飛行隊の所属機。
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Wings
↑ 1990年代に入ると次々に尾翼にマークが入り始めた。1992年6月カナダで撮影された22nd ARWのKC-10A/79-1950。マーチ空軍基地所属を示すマークが尾翼の星条旗の下に描かれている。